銃弾を噛む

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【DOWNWELL/入院】もうリセットした方がマシか?【レビュー】

白と黒の二色のドットだけで、スマートフォンの中に月夜が描かれている。

夜空が……つまり三日月と星が、地べたが……つまり木と草とベンチが、そしてそのベンチに横たわって眠る人がある。

それらとは別に、画面の上側には、赤と白で数字やアイコンがたくさんあり、また、画面の下側には、左右を向いた矢印を思わせる二つのボタンと、四角いボタンの一つがある。

おれは、いまだベンチに横たわっている人を、左ではなく、右に行かせるため、右の矢印ボタンを押す──昔、ある配管工が、右に進まなければ愛するお姫様を助けられなかったからだ──そうするとこの人はベンチから飛び起きて、右に進んでいき、すぐに大きな、大きな井戸のへりにたどり着くと、その上にこういった意味の言葉が浮かび上がる……井戸を落ちていけ、それも上手く。

すなわち、DOWNWELL、と。

 

 

 

 

生煮えのレンズ豆を食ったせいで、それが腹の中で膨らみ、腸を塞ぐという、史上稀に見る病因でおれは入院することになった。

いくら理由がくだらなくても、病院に行った頃にはそこそこ急を要する状態になっていたため、緊急で鼻から胃に管を突っ込まれ(この「胃管」の、緊急時に使われるバージョンは、硬く太く、そして大雑把に突っ込まれるので、突っ込まれる時も、突っ込まれた後もずっと、痛い)とにかく空いている病床に寝かさせる運びとなった。

 

1日経ち、ひとまずの危険は去ったので管も外れ、周りの様子を伺う余裕も出てきたところ、ふと、他の病室で、老人が誰かを呼んでいるのに気付いた。

「おーーーい」

「おーーーい」

看護師さんを呼んでいるのだろうか……ナースコールを押せない理由があるのか?

「おーーーい」

「けてくれー」

「助けてくれー」

「警察呼んでくれー」

 

要するに、おれは、なんといっても急を要する状態であり、病棟を選り好みしている余裕は無かったため、自分が病院にいることも分からなくなるほど重い認知症や、もはや回復の見込みのない病に侵された人ばかりが横たわっている病棟の、ちょうど空いていたか、空いた病床に割り当てられた、というわけだ。

 

外では風が吹いている、それも強く。

 

今になっても、現実にはゲームのように軽々しく押せるリセットボタンはあまりないが、今どき、軽々しく押せるリセットボタンがついているようなゲームはことごとく、現実と見紛うほどに高い難易度を誇っている。

安静な病床で鈍くなっていく一方の脳みそを、燃えるような興奮に沸き立たせるようなゲームをプレイしたくなったおれが、病院に来た時の唯一の持ち物であるスマートフォンにダウンロードした、「DOWNWELL」というゲームもその内の一つだった。

このゲームの内容はこうだ……プレイヤーキャラクターは、なぜか、井戸に飛び込んで、ひたすら下を目指して落ちていく。

この井戸には危険なモンスターたちが巣食っており、また重力は現実のように激しい加速度でキャラクターを下へ引っ張ってくるため、本来ならただ死ぬしかないのだが、下向きの銃を底に引っ付けたを履くことで、銃で直下のモンスターを撃ちながら、その反動で落ちる加速度を緩めるという、極めて合理的な戦術を使うことで、とても上手くやれば、死なずに落ちていけるようになっている。

このゲームはサウンドも素晴らしい。ただしそれをおれが知ったのは、この文章を書くため久しぶりにこのゲームを起動してからだ。病院に行くとき、あまりの腹痛に、イヤホンを持っていく事まで頭が回らなかったためである。

 

おれが割り当てられた病室は、普通の病棟であれば四人部屋として使われるはずの広さの部屋だったが、仕切りを挟んだ隣には、老人が一人だけ横たわっているのみだった。

彼は咽頭や舌の手術をしたのか……あるいは別の理由か分からないが、極めて滑舌が悪くなってしまっており、看護師さんやらが来て体を拭いたりリハビリをしたりする際に毎回彼は何かを訴えるのだが、本当にだいたいの言葉が聞き取れないので、いつも相手の言葉をよく聞き取れなかった場合の返答──すなわち、ほとんど意味のない、曖昧な肯定の言葉を返されるばかりだった。

「◯✕がない△△△」

「なーにー?」

「◯✕がない△△△!」

「えー、そうだねー」

 

軽々しく押せるリセットボタンがついているようなゲームは、プレイヤーをある程度完璧主義にさせる……具体的に言えば、どんな些細なロス(小アイテムの拾い損ね、一発の被弾、5秒のタイムロス)だろうと、後々にもしその些細なロスが原因でゲームオーバーになってしまったら……とプレイヤーは想像するので、自然と、序盤であればすぐリセットするようになる。

 

看護師さんたちの立ち話が聞こえる……

隣の彼は昨日から食事を摂らなくなったようだ。

なぜだろう?今まで摂っていたんだろ?なぜ今になって、

 

 

 

 

なぜおれは井戸を降りているんだろう?ステージが進行するごとにどんどんまわりは地獄のような光景になっていくのに、いったい何のために……

 

夕ご飯の時間だ!ここの病院食はかなり好きだ。塩気はもちろん薄いが、その代わりに酸味や甘味、旨味でちゃんと味が補填されているからだ。

隣の彼は今日もご飯を食べようとしていないようで、食器を回収しに来た看護師さんが戒めていた。

「食べなきゃ元気になれないよ~!」

確かにそうだ。

「✕◯ほおが△」

 

「も、いんだほおがはしだ」

おれの聞き間違いだよな?

 

 

外では雨が降っている、それも激しく。

 

 

DOWNWELLというゲームの場合、リセットしようとすると以下のような画面が出てくる。

合理的に考えて、ある程度ステージが進行した時ならともかく、最初に上手く行かなかった時は気軽にリセットしてしまうのが一番いいはずだ。

だからおれはリセットした。

 

おれはスマートフォンを指で叩きながら、仕切りの向こうの老人に話しかけ、励ますべきかどうかを考えていた。

そしてこの文章は欺瞞に満ちている。話しかけられるわけがない───死に瀕している老人に、くだらない理由で短期間入院しているだけの、順調に治っていく若者が何を言えるというんだ?

おれだけ治っていくのはなぜだ?この仕切りが喩えているのは本当に老いと若さだけなのか?

 

おれはプレイしながら、しばしば、このゲームがどのようなエンディングを迎えるのか想像していた……それはこのような想像だった。

井戸を降り切ると、なんと今までのステージが最終ステージから逆順に、上下逆さまになって現れ、モンスターたちのお腹は笑ってしまうほど弱く、すなわちお腹側を踏みつけるとおれは跳ねることなく通り抜けてしまうので、すぐに今までのステージも通り抜けてしまい、最後に1-1ステージを抜けた後、ついに逆さになった地べた、つまり地球の反対側へ飛び出し、井戸の中に半日はいたのか、逆さになった空もまた月夜であり、その月夜に、いや三日月に降りて行くおれは、吸い込まれるようにどんどん小さくなっていき、ついには見えなくなり、エンドロールが流れ出す、というものだ。

 

この病床、おれが横たわって寝ているこのマットレスの上で、何人の人が死んでいったんだろう、と想像し、おれが包まっているこのシーツの中で、何人の人が死んでいったんだろう、と想像したが、マットレスはいかにも床ずれしづらそうな極上の寝心地であり、シーツからは洗剤のほのかな香りと清潔な突っ張った手触りだけがしていた。

 

その病床で、おれはとうとうボスステージに到達し、とっくに消灯時間を過ぎていることも忘れてスマートフォンを指で叩き、井戸を降りきることができた。

井戸を降りきったおれは、井戸を降りるべき理由を、ようやくそこで見つけ……少し苦く、しかし確かに微笑みながら、エンドシーケンスが完了するのをただ見守った後、スクリーンショットを撮って、ようやく眠りについた。

 

 

入院している人間がとるべき睡眠時間をまだまったく取れていないのにも関わらず、看護師さんは朝ごはんの時間だからといっておれを起こす。不当な扱いだ。

 

早朝のあいだに雨は降り止んでいた。

春という季節は陽の光だけが暖かく、その陽の光が風に揺れるカーテンを抜け、病室を照らしていた。

隣の彼は……朝ごはんを食べているようだった。音を立てて……おそらくは重湯を胃に流し込んで、生きるための栄養を取っていた。

 

 

「退院後に注意する事ってあります?あー、その、生煮えの豆を食わない以外では」
先生は、ひとしきり笑った後、一拍置いて言った。
「生煮えの豆を食わなきゃ、いいよ。お大事に!」
おれはニヤと笑い返し、ありがとうございました、と礼を言う。

 

 

分かっている。この文章の構成もまた欺瞞に満ちている。隣の彼はおそらく総合的に見ればほぼ良くなってはおらず、とりあえず食事は再開するようになっただけにすぎず、また、それをおれが勝手に大きな吉祥として捉え、良い経験だった、と言える程度の形に整形しているだけにすぎない。分かっている。分かってはいるが……

 

おそらく、おれの今の不摂生(手巻きタバコをゆっくり口腔喫煙している事など)を考えれば、おれも高い確率で彼らのような境遇におかれることになるだろう。

その頃には、いやそうなるまで生きながらえられるならの話だが、指も目もいっさい思い通りには使えず、そもそもスマートフォンや、その他おれが遊べるようなゲーム機はすべて過去の遺物となっており、脳みそを鈍らせながら、陽の光など届かない井戸の底のような、あの病床に横たわるしかなくなっているのだろう。

どうだろう?おれはその井戸の底まで降りてきたとき、降りてきた理由を見つけられるんだろうか、ささやかでも、少しでも納得できて、一瞬でも、苦くでも微笑むことができるような理由を。

 

 

そうするとおれは病床から飛び起きて、靴を履き、スマートフォンを持って、春の陽が──今のところは──射す町の中へ、歩いて帰って行った。

 

 

 

 

 

この文章は、

ゲーム「DOWNWELL」、

Downwell

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下記記事、

jp.ign.com

および、同記事の著者、藤田 "rollstone" 祥平 氏の文章に強く影響されて書かれたものです。